前回から少し間が開きましたが、今日もネガティブエネルギーについてお話したいと思います。
前回、私たちが癒して変えて行こうと取り組み続けているネガティブエネルギーとは、「否定」に端を発して人が生み出す、思考や感情が混ざりに混ざった「意思」を持ったものだとお話いたしました。
それは人を介し世代や時代を超えて受け継がれ、私たちや社会の暗黙のルール、価値観、文化や教育など、全てに浸透している記憶の集合体でもあります。
そして、今回はそのネガティブエネルギーの意志、つまり「存続し続ける」という願いについて取り上げたいと思います。
なぜネガティブエネルギーは自らが存続し続けることを願うのでしょうか。
それは、ネガティブエネルギーが「否定」によって生まれたものだということに理由があります。
否定は自分の本質に干渉するエネルギーです。敢えて単純化して言うと、「ダメだ」「ない」というエネルギーです。
否定、嫌悪、卑下、無意味、無価値、欠乏、排除。これらに共通するエッセンスは「あるがまま」「存在」の否定です。
本質のエネルギーへの干渉とは、「存在が存在する」ということ、「その存在はそのままで過不足なくその存在である」ということの否定を指し、それの具現化である「体験」を齎します。
否定から生まれたネガティブエネルギーは常に恐れているのです。
自分が無意味で無価値で、「存在する必要のないもの」「存在してはいけないもの」であるということを恐れているのです。
ネガティブエネルギーも自らが抱える恐怖を和らげたいのです。
自分には意味がある。価値がある。要らないものではない。存在していい。
こう信じたいのです。安心したいのです。幸せになりたいのです。
苦しくて苦しくて仕方がないのです。けれども、それらの内側は空虚で根なし草のようなので、自分に何とかできる力があるとは微塵も思っていませんから、苦しみを和らげるために周囲を巻き込みます。
存続し続けるためにありとあらゆる手段を講じます。形振りなんて構いません。
ネガティブエネルギーにとって、自らが存続し続けることが「否定」を否定する唯一の手段なのです。
だから、願うのです。「存続しつづけること」を願い続けるのです。
願いは実現に向けて動きます。ネガティブエネルギーに於いても例外ではありません。
私たちは想像し得ない程の年月、ネガティブエネルギーの願いを叶えてきたのですね。
そろそろ終わりにしてもいいでしょう。例え笑われても馬鹿にされても、「皆が幸せ」。そう思える世界を信じて進んで行きましょう。
「皆」の中にはもちろんネガティブエネルギーも含みます。私たちのリアルな苦しみは、そのままそれらの苦しみでもあるのです。「他人事」ではないでしょう。
そう思いませんか?
ただ、今現在、私がお話しているレベルのネガティブエネルギーを本当に癒やすことができるのは、スピリチュアルな方法以外にはないと思います。
私はずっと心理療法に携わっています。医療現場にも長くいたので、医療技術や薬のことも見てきました。
でも、それらではネガティブエネルギーの苦しみを終わらせることはできないと思っています。人の力と科学技術だけでは無理だと思っています。
高次元存在たち(石さんたちも含みます)の協力があってやっと可能になる。それぐらい大層な事だと思っています。
私は、私たちと高次元存在たちの距離が一層近づいているということに「皆が幸せ」の実現を見ているような気がします。
以下に前回のネガティブエネルギーに関する記事を載せておきます。
もしよければご覧ください。