京都で暮らしていると、知らない人同士が声をかけ合って話をしている様子をよく見かけます。
私は他府県出身ですから、最初はとても不思議な光景でした。
私の出身地では道行く人同士があまり目を合わせることもなく、お互いに関わらないようにさっと過ぎ去るというのが一般的でした。
マリアージュ周辺は地域のつながりが強い場所で、話をしたことがないのに誰なのか知っている、みたいなことが結構普通だったりw
犬を連れていると、本当に色んな方が話しかけてくれます。
動物と暮らしている方、以前に暮らしていた方がほとんどなので、我が家の訳アリのワンコにも寛容に接してくれます。
何気ない日常の一コマですが、こういう何気ないことが孤立を防ぐのかな、と感じています。
私は一番人を追い込むのは孤独と孤立ではないかと思っています。
「こんなに多くの人が生きている世界で、自分だけが取り残されている」。
「自分がいてもいなくても世界は回っていて、自分がどうなろうと誰も気にしない」。
毎日毎日こんな思いで過ごしていたら、誰だって心が擦り減っていくでしょう。
知っている人でも知らない人でも、誰かから声をかけてもらえるということは、そこに自分がいる、自分もつながりの中に生きているという一つの証だと思うのです。
最初、私は声をかけられることに対して警戒心の方が先に立っていたのですが、今は「有難いことだな」と受け止めています。
声をかけられ慣れると、声をかけることへの抵抗感も下がります。色んな場面で聞きたいことが聞き易くなりました。
声かけは、人と人をつなげる糸のようなものだと思います。
誰かにとっては辛い気持ちを慰めてくれる糸になるかもしれないし、また別の誰かにとっては命綱になるかもしれない。
そんな風に感じました。