前回に引き続き、もう少しエネルギーブロックに関するお話をしたいと思います。
エネルギーブロックについて、私が伝えたいことの一つに「全てのエネルギーブロックを癒やす必要はない」ということがあります。
エネルギーブロックはあってもいいのですよ。と言うか、ある。絶対に。誰でも。
私たちは何千年、何万年、それ以上の歳月を生きている存在です。
普通に考えて、全てのエネルギーブロックを癒やすのは、無理。
どれだけあると思ってるんですか。無理、無理。
過去も未来も、「今ここ」に生きる自分の中に存在します。それは、今ここに生きる自分が体験していることを扱えば、過去も現在も未来も、全てを包括してエネルギーが動くことを意味します。
私たち人は、とても集約されたフォーカスを持つという特徴があります。虫眼鏡で太陽光を一点に集めるようなイメージです。
これのお陰で、「これ以外の世界はない」と信じ込めるぐらいに物質的現実に没頭できるのです。
そもそもの私たちの仕様がそんな感じなのですから、あれもこれもと手を広げないで、目下気になっていることや当面の悩みに集中したら、それでいいのです。
本当に癒やす必要があるものには必ず辿り着きます。どんな入り口から入っても、どんな切り口でアプローチしても。
お互いが呼び合うのですから、出逢わないわけがないのです。
私の個人的な考えではありますが、今のスピリチュアルは願望実現が花形ですよね。
「自分の望みを叶えるためにエネルギーブロックを解放するんだ!」みたいなね。
今が苦しいのだもの。そりゃあ、あれこれ望みを叶えたいですよ。私だって叶えたい。現世利益を謳歌し尽くして死ぬって決めてる(笑)
でも、強すぎるモチベーションって、自分を追い詰めてしまう所があってね。
「エネルギーブロックがあると望みが実現しない!急いで全部手放さなくっちゃ!!」という感じ。一例ですけどね。
自分を楽にするための「エネルギーブロックを手放す」ということが、今度は自分を縛るエネルギーブロックになってしまう。意味の反転が起こる。
この意味の反転は色んな場面でよく起こります。親子関係とか、恋愛関係とか、仕事とかね。
この反転に気づかずにいると、どんどん「なんで上手くいかないんだろう。こんなに頑張っているのに・・・」と考え出して、より一層努力して。
終わりが一向に見えなくて、心が消耗し、擦り減って、元々の純粋な望みさえ分からなくなってきてしまいます。
実際、意味の反転に気づく瞬間が自分が変わる時の一つの大きな山場ではあるのかな、とは思うのですけれど、「何もかも全部」に拘っていると、いつまでも霧の中・・・になってしまうことが多いです。
大らかさって大切。
別に、エネルギーブロックに悩んでいても望みは叶うと思いますよ。
恐らく大切なことは、「望みが実現する」という周波数に対して対立する周波数をできるだけ混ぜないことではないかと思います。
「あ、トイレ行こう。お茶飲もう」と思って、実際に完遂するまでの自分の一連の心や体の感覚を研究する方が願望実現は簡単で速いと思うなあ。
余談ですけど。
私はスピリチュアルな知識とは、どうにもできない、変えられないように思える現実に「風穴」を開ける「生き方の知恵」だと思うのです。
そして、ヒーリングやチャネリング、心理療法や占いなどは、願望実現のためのツールである以上に、誰も孤独にしないための支えだと思うのです。
そういうものが、誰かを追い詰めてしまうのは、とても残念です。
何にせよ、私たちの日々は続いて、生きている間は朝が来るのです。
色んなものを抱えながら、人生の中でゆっくり取り組んでいけばいいことも沢山あります。
時々ガイドたちが「私たちは皆永遠の存在です。何をそれ程までに生き急ぐのですか?」と問いかけてくることがあります。
まあ、私は二元性を生きる存在ですので、「あ、そうだな。ゆっくり今を味わおう」と思える時と、「この体でこの人生を生きられる時間は限られてんだ!永遠じゃねぇ!」と内心(ガイドたちに筒抜けです)イラっと来る時がありますけれども。
私たちがどれ程焦っても、一日の中でできることは限られていますよ。
ましてや、とんでもない年月をかけて培われたブロックの一掃に挑むのは、不毛ですね。
不毛なことはやらないに限る!私の信条です。
あ。あと私、一応セラピストです。