Healing Space Maria-juの架け橋ブログ

Healing Space Maria-juが贈るチャネリングメッセージとスピリチュアルライフの実践ブログです。

愛、再考

「愛」と聞くと、私たちは何を思い浮かべるでしょう。

恋愛、家族愛、友愛、慈愛、博愛、自己愛、神の愛・・・。

愛は私たちがずっと抱き続けている関心事の一つですから、表現する言葉が沢山ありますね。

では、もう少し深めてみましょう。

「愛」とは何だと思いますか?

私は、あなたは、どうであったら「愛」と呼ぶのでしょう。

 

私にとって「愛」とは「全て」です。

こう言うと「そうだよね」と頷いてくださる方がいらっしゃると思います。スピリチュアルに関心がある方なら「当たり前」でしょう。

では、命を奪うこと、虐げること、自分の欲望のみを追求すること、犠牲を強いること、支配、搾取、裏切り・・・。他にも色々ありますが、これらのような所謂「悪い事」も愛だと言ったら、それは賛同していただけるでしょうか?

 

冒頭に挙げた愛のイメージは、一般的に「良い事」と捉えられているものですね。

私たちは愛にポジティブなエッセンスを重ねることがほとんどです。なので、分かり易く「良い事」の中に愛を見出す性質があります。

私たちにとって、愛は幸せにしてくれるもの。喜びを齎してくれるもの。平和を創り出してくれるもの。そうですね?

 

では視点を変えて、先程挙げた「悪い事」を見てみましょうか。

これらは間違いなく人を傷つけ、苦しめます。でも、なぜこういったことが起きるのでしょう。

それは、殺戮であれ支配であれ搾取であれ、誰かにとっての幸せ、喜び、平和に他ならないからです。

 

全ての存在にはより良い状態・より心地良い状態を希求する本能があります。

今も昔も、私たちが繰り広げてきた営みは全て、その根底に「自分がもっと心地良さを体験するように」という絶対的な動機があります。自分を幸せにしたい、喜びを感じたいと思うのは、愛とは言えないでしょうか?

私たち一人ひとりには、全く違う背景があります。どういう背景があって、その行為がその人にとっての幸せになり得たのかは「一般的には」「普通は」では量れないのです。

 

私たちは、その行為が齎す結果に対して「愛」かどうかの判断をしています。

自分や世界にとって良いと思うことなら、愛。そうではないなら、愛ではない。

「愛とは全てだ」と言いながら、嫌だと思えば「愛ではない」と言うご都合主義が自然と身についてしまっています。

全ての感情、考え、行為は、自分をより心地良くするという自分への愛が素になって生まれています。良いも悪いも全て、その根底には自分への限りなく深い情、絶対的な肯定があるのです。

この世界で私たちが体験している全ては、愛の「一側面」なのです。

倫理や常識、学習などによって、私たちは「皆がより良い」と思う状態を指向するようになりました。これは皆の安定を齎したと同時に、愛をとても限定的なものにしてしまったように感じます。

 

私は「悪い事」を推奨している訳では決してありません。ただ、それは他所事や他人事なんかではなく、自分の中にも見出せるものだという意味で否定はできないのです。

私たちは良い面、悪い面の両方を持った存在です。どちらか一方では有り得ません。

何事にも両面があるのは「全ては一つ」だからなのでしょう。

「全ては一つの光から生まれた」と、高次元存在が口々に言っていますね。

この一つの光が本来「愛」と呼ばれるものの姿なのだろうと思います。

良いも悪いもどちらでもないも、何もかも全てを包含したもの。

そこから生まれた私たちは、何もしなくても「愛」なのです。全てを包含した「愛」なのです。

だから、「愛」になろうなんてしなくていいと思います。元々「愛」なのですから。

ポジティブな側面だけを「愛」と定義すると、自分を追い詰めます。自己否定の台頭です。

全てを包含する存在が自分なのですから、ネガティブな側面を切り離すこと、消し去ることはどう頑張ってもできないのです。

 

私たちは愛のどの側面を体験するか。ただそれを選ぶだけです。そして、体験する側面を選んだら次はどう表現するかを選ぶ・・・。

選んで選んで、体験して体験して。未来永劫この繰り返しです。

私は良い悪い、ネガティブとポジティブ、光と影。これらがそれぞれに主張しながら手を取り合って新しいものを創造する。そういう体験を選びました。

私はこれを「統合」と言うのだろうと思っています。

ネガティブな側面に関心がなくなるということではなく、ネガティブもポジティブも、どちらも満足する着地点を創り出すということです。一方だけに我慢をさせない。

マリアージュのクリスタルヒーリングのメニューに「光と影の婚姻」と銘打ったものがあります。これが私の、マリアージュの意志そのものです。

 

「愛」とは何か。「愛」は全て。本当の本当に、全て。