私たちには、駄目だと分かっていてもどうしても自分の気持ちを抑えられない時があります。私たちの心と「良い・悪い」は時折ズレてしまいます。
私は、これはとても自然なことだと思うのです。
自分は必ずしも良い面ばかりを持っている訳ではないし、皆に受け入れられる面ばかりを見せられる訳ではない。
たった一つの事であっても、誰かにとっては良くて、誰かにとっては不愉快で。
絶対的な正解なんてどこにもないじゃないですか。
エネルギーを整えていくと、ポジティブなエネルギーとネガティブなエネルギーがそれぞれどう自分に影響するのかが分かってきます。
そうなると、どうしても色んなものをポジティブに変換したくなるのですが、力技でやろうとしてもただの誤魔化しに終わってしまう時があるのです。
私たちにとっては「正道」を行くことよりも「気が済む」ということの方が少しばかり大切なのではないかと思うのです。
「これを言ったら誰かを傷つける」。「これをしたら困ったことになる」。
こういう発想ができるから、私たちは協調し合うことができるし、思い遣ることができます。ただ、時にとても苦しくなることもありますね。
私たちは優しさなり恐れなり、様々な理由から色んなことを考えます。
それが自分の素直な気持ちと合わなくて、葛藤しては抑圧したり裏腹に表現してしまったりすることがあります。
これはね、どれだけ自分に「良かったんだ」と言い聞かせても、結局納得いかないんですよ。例え忘れてしまっても、心の奥でずっと引っ掛かってる。
私たちって結構根に持つんですよねw
私たちは人生の中で何度か、他のことは一切脇に置いて自分の心を選ぶ時があるだろうと思います。
駄目だと分かっていてもやってしまって、実際沢山傷つけて傷ついて。
今まであったものが崩れてしまうことだってあるでしょう。失うものもあるでしょう。
沢山たくさん後悔して、悩んで、苦しんで。。。
でも、「それでも」自分の心を選んだということが、自分を支える力になることがあります。
やってみたら気が済むんですよね。そのせいで痛い目を見たとしてもね。
私たちは、やってみた経験から新たな望みや選択肢を見つけることができます。
「もう二度とやらない」という選択も納得した上でできます。
「気が済む」の中には、ある種の安堵と納得が含まれているように思います。
私たちは納得しないとなかなか次に行けないものです。
気が済む体験は成功体験に負けないぐらい、私たちを形作る大切な要素なのかもしれませんね。