Healing Space Maria-juの架け橋ブログ

Healing Space Maria-juが贈るチャネリングメッセージとスピリチュアルライフの実践ブログです。

私たちの世界は、人だけで成り立っている訳ではない

私たちがいつも買い物に行くスーパーの側に、毎年春になると家の塀を囲むように植わっている大きな桜の木がとても見事な花を咲かせてくれ、秋には生垣の金木犀が華やかに香る立派な家がありました。

けれども、その家はコロナの影響なのか、ある日売りに出されました。

そして、売り物件の看板がなくなったと思ったら、立派な家、桜の木々、金木犀

そこにある全てを重機が壊しにかかっていて、最近更地になりました。

 

私も旦那さんもその家の桜や金木犀をとても楽しみにしていたので、二人で何気なく通りがかった夕方に、作業途中で放置された重機と、その側に幹を重機で抉り取られ、斜めになった姿の桜を見つけた時、二人共本当に悲しくて、しばらくその家の前を通りががると辛くて遣り切れない程、ショックを受けました。

 

大きな木は、そこの家が、土地が積み重ねてきた年月そのものです。

そして、植物もその土地の住人であり、命そのものです。

利益優先の考え方でそういう存在を蔑ろにする在り方が、私は大嫌いです。

変化を余儀なくされている現在、お金を基準にした利益追求よりも、あるのもを活かす在り方や存在自体に価値を置く考え方がもっともっと大切にされるようになってほしいと願っています。

 

さて、また旦那さんと二人で件の更地の前を通りがかった時のこと。

新しく家を建てるのか、地鎮祭をした後がありました。

それを見て旦那さんが「あれだけ植物を虐殺しておいて、地鎮祭ってどうなの?」と言いました。それを聞いて、私はハッとしました。本当にその通りだな、と。

沢山の命を奪って、地鎮祭。至る所で見る光景ですよね。

人は一体何しているんでしょうね?本当に。何しているんでしょう。

何かを祀ったり鎮めるための儀式は、そこに在る存在への敬意として行われてきたものだと思うのです。形骸化した儀式に、誰が、何と応えるのでしょう。

 

私はお陰様で、岩倉暮らしの中で御神霊のお知り合いが増えました。

彼らは私たちが想像もつかない悠久の時を、彼らが生きるこの土地で過ごしてきているのです。

彼らはその土地に起きている全てを知っています。その土地に生きる者の想いを聞いています。

彼らは何を想うのでしょう。

私は彼らが何もかもを受け入れて「いいよ」と言ってくれるような生易しい存在ではないことを知っています。

私たちの世界は、人だけで成り立っている訳ではないのです。

 

誰かを怖がらせたり不安にするようなことを言うつもりは全くありません。でも、「神様が怒る」というのは、本当に全くの迷信なのでしょうか。

私は見えない世界と見える世界が相互に影響し合っていることを日々感じています。

そして、その影響は決してどちらにとっても小さくないのです。

 

私は今回の体験を、自分が望む世界を生きるために何がしたいのかを改めて考える機会にしたいと思っています。

ただ悲しい、辛いだけの体験で終わらせたくないな、と思います。