Healing Space Maria-juの架け橋ブログ

Healing Space Maria-juが贈るチャネリングメッセージとスピリチュアルライフの実践ブログです。

思い切り声を出せる幸せ

金木犀の香り漂う京都、マリアージュ周辺です。

私にとって金木犀の香りは「幸せの香り」です。この香り、大好きなんですよ。

外を歩くだけで、窓を開けているだけで、心をスッと幸せに調律してくれます。

マリアージュ周辺はどのお宅にも金木犀が植わっているんですよ。

世界一面、金木犀の香りで包まれているように感じるぐらいの芳香が漂います。

私は嬉しいけど、苦手な方にはキツいだろうなあ。

 

さて、毎日夜約2時間犬の散歩に出ているんですが、最近子どもの大音量の泣き声を聞くことが続いています。

もちろん「大丈夫かな?」って少し心配になることもあるので、泣き声が聞こえた付近を散歩で通る時は注意するようにしています。

それとは別に、私は「思い切り声が出せる」ということに、切なさと羨望が入り交じったような何とも言えない気持ちを覚えます。

 

今一緒に暮らしている我が家の犬は元野犬です。河川敷の代々の野犬の群れの中に生まれ、保護されるまでの数か月を過ごしました。

我が家の初代も野犬でした。この犬は山の中の野犬の群れで生まれ、6,7年の期間を山の中で生きてきました。

野犬である彼らに共通することはたくさんあるのですが、際立って特徴的なことが「声を出さない」ということです。

 

本当に鳴かないです。自分の居場所を知られてはいけないと思っているからでしょう。

「居場所が知れることは死に直結することだ」というのが野犬たちの置かれている現状です。

だから鳴かない。息を殺して、身を縮めて、気配を消して、潜む。家の中でも。

初代は威嚇したい時だけ鳴きました。でもそれも彼が本当に安心できて、私たちの側が本当に自分の居場所になってからのことです。我が家に来て二年以上後のことです。

今の三代目はまだ鳴きません。一年八か月一緒にいますが、声を聞いたのは一度だけです。

 

彼らと暮らす中で、私は「思う存分声が出せるって、すごく幸せなことなんだな」と思うようになりました。

子どもが大声で泣いている姿に眉をひそめる方は多いでしょう。子どもが全力で不快感を露わにしている訳ですからね。聞いているこちらにも不快感が喚起されるのはある意味致し方ないことでしょう。

ただ、子どもだって泣かなくて済むなら泣いてないですからね。良し悪しの問題ではないです。

 

話を戻しまして。

私は今子どもが大声で泣いている様子を見ると、「大丈夫かな?」という思いと同時に「全力で声が出せるって、幸せな子だな」という思いが湧き上がります。

当の子どもは絶賛不愉快中ですから「幸せだ」なんてとんでもないでしょうし、私にはどういう環境、どういう関わりの中でその子が生きているのかも分かりませんが、それでもその子は今この瞬間全力で声を上げられるのです。それは間違いなく幸せの一つだろうと思うのです。

 

犬の話をしましたが、人間も同じですよね。

言いたいことが言えずに生きている人間なんて、数え切れないぐらいいます。

子どもの時だって、大声で泣いた記憶なんてない方も山程います。私もほとんどありません。

母親は今もそれをどこか誇らし気に、感心したように話すことがありますが、当人である私は内心「本当にそれは良い事なのか?」と少し穿ってみたくなる訳です。

 

大人になった今、大声で泣く子どもと同じようにやりたいかと言うとそんなことは全く思わないですが、ただ、「思い切り声を出せる幸せ」は今も、これからももっともっと感じたいと思うのです。

我が家の犬にも、一杯いっぱい感じてもらいたいな、と思います。