先日母から電話があって、「前に書いた自分の文章が、今読み返すとなかなか良い事を書いてるんじゃないかと思うから聞いて欲しい」というものでした。
母は気になった物事について自分の考えを書く「雑感帳」というものをつけているそうで、その文章はオバマ元アメリカ大統領の就任・退任演説を受けて書いたものでした。
電話越しに聞こえる自分の書いた文を読み返す母の声は明るく生き生きしていて、「ああ、今何か嬉しいんだな」と感じました。
私もこの年明けにとても懐かしい方々から寒中見舞いを頂きました。
葉書のほとんどが私が書いた喪中葉書の内容に対するお返事だったのですが、もちろん私はお返事を頂けるなんて想定していませんでしたから、年初めにとても嬉しい驚きを体験させてもらいました。
時々、過去が肩を叩いてくれる時間帯というものがあるように思います。何となく今はそうなのかな、という気がいたします。
寒中見舞いをくださった方々は、大学時代の同期や先輩であったり高校の時の友人であったり、本当に長らく会っていなくて、内心「もう会わないかもしれない」ぐらいに思っていた方々でした。
なので、本当に意外だったんですよね。そして、とても嬉しかった。
皆それぞれの人生がありますから、「疎遠」はある意味仕方がないと思います。
でも、そうは言ってもやはり繋がりが消える寂しさや孤独みたいなのは感じてしまう訳で。
「仕方ない」「そういうものだ」と振り切って日々を生きていく訳ですけれども、こうやって「失くした」と思ったものが「まだここにあった」と気づかせてもらえると一気に胸の中の冷たいものが溶けていきますね。
過去に肩を叩いてもらえる時間というのは、私たちが見失ったものが「ちゃんとここにあるよ」と教えてくれる時間なのかもしれません。
過去をもう一度拾い上げることができて、私たちは「今の向こう」へと進めるのかもしれません。