ほんの数十分、知り合いと近況報告をし合った時のお話です。
その方を仮に花さんとお呼びします。
花さんはつい先日身内の葬儀に参列したそうです。故人はとても長生きの大往生でした。
その方には何人も子どもがいて、孫もいました。
花さんもお世話になったことのある方なので、花さんは葬儀に参列するのは当然のことと思っていました。
しかし、蓋を開けてみると、参列者は花さんの家族と故人の娘があと一人。
花さんはとても驚きと戸惑いを感じました。
花さんはちょっと古風な性格で、義理堅い面があります。
血縁を重視し、身内は全員必ず葬儀に参列するものだと思い込んでいましたし、故人に生前の感謝を伝えてお見送りするのが当然だと思っていました。
花さんは人にはそれぞれ色んな状況があって、色んな考えがあることは認めつつも、何だか胸がモヤモヤしたそうです。お世話になったのは、当然花さんだけではないのですから。
葬儀が終わった後、花さんの心に残ったのは「血の繋がりなんて関係ないのかもしれない。自分が(葬儀に)来て欲しいと思う人が来てくれれば、それが一番なんじゃないかな」という想いでした。
「身内だから」という考えは、あまり意味がないのかもしれないと思ったそうです。
花さんが私にこの話をしたのは、もともと私が血の繋がりや続柄にあまり重きを置いていないことを知っているからでした。
私は血の繋がりや書類上の関係性よりも、自分が心から信頼できる人ととの関係を大切にしてきました。今もそうです。
冷たく聞こえるかもしれませんが、身内よりもよっぽど大切な「他人」が沢山います。
身内=信頼できる。身内=仲良くしなければいけない。
これは違うだろうと思っています。身内であれ他人であれ、しっかりと人を見て、心を観て、行動を見て判断すればいいことだと思います。
花さんは別れ際、「もっと人付き合いを大切にするよ」と言って目を伏せました。
私は何となく、これからは「家族」というものが血縁や書類という小さな箱から飛び出していくんだな、と思いました。