皆様は自分の声をご存じでしょうか?
私は自分の声がよく分かりません。
録音した自分の声を聞くと、普段聞いている声を随分違っていてとても違和感があります。
それに、私はいつも少し喉の奥が詰まったような感覚を持っていますし、思い切り声を出したのはいつだったかも分かりません。
話す相手や状況によって声は変わりますし、もしかしたら聞く相手によっても全く違う伝わり方をしているかもしれません。
声は感情や想いなど、非常に多くを内包していると思います。
本来、声は私たちが持つ固有のエネルギーの純粋な表現型ではないかと思うのです。
でも、私は自分の声を知らない。
固有のエネルギーを光として感知することはできますが、音は分かりません。
おそらく「これが自分の音だ」という実感を掴めていないからでしょう。
チャネリングを重ねていると、ガイドたちとのエネルギー的な距離がどんどんと近くなっていきます。
わざわざ繋がろうと頑張らなくても、想えばすぐに返答があるような状態になります。
私とガイドたちが融合しているような感覚です。
最近、私が発した少し強めの声にガイドたちのエネルギーが入っていることを感じて少し驚きました。
私の想いに彼らが共鳴すると、声に混じるんですね。
私はチャネリングメッセージを声に出して伝えるということをあまりしませんので、新鮮な驚きがありました。
そして、「そもそも私の声ってどんなだろう」と考えたんですよね。
歌手や声優は声を通して表現するプロですよね。
様々な役柄や楽曲に挑んでも、やはり自分という存在の音がそこにあるから多くの人を魅了するのだろうと思います。
心理士やヒーラーにとっても声って大切だと思うのです。
私が教育機関でカウンセラーとして働いていた時に様々な困難を抱えた子供たちと出会って感じたことは、皆本気の言葉をくれる大人を探しているということでした。
本気の言葉って、本気の声に乗るものでしょう。
本気の声って、自分の音のことなのでしょうかね。
私は自分の声を知りたいです。
突き詰めると、遠慮したり隠したりしない自分の「素」を知りたいということなのだと思います。
最近、「表現する」ということに意識が向いてきています。
誰かや何かのためではなく、自分という存在の中から湧き上がるものを表現したいと思うのです。
これを欲動と呼ぶのか情熱と呼ぶのかは分かりませんが、何か取っ払いたい気がするのです。
私たちは常に声で何かを表現している割に、真実自分を表現しているとは言い難いのかもしれません。
今月で一年の半分が終わりますね。
残り半分の間に一つでも多く「私って、こうなんだ」という発見をしたいです。