分からないことを恥じる必要は一つもありません。
むしろ恥じるべきは、分かった気になってそれ以上分かろうとしないことです。
皆さんは「分かる」ということにとても重きを置きますが、世界は見渡す限り分からないことだらけです。
物事の意味など、人によりその時々により、変化するものです。
「それが自分にとってどういう意味があるのか」は、皆さんが決めるのです。
「自分が決める」ということに、もっともっと意識的に取り組んでみてください。
自己決定とは、ある部分で身勝手さとなり、ある部分で信念となります。
けれども、どちらに焦点をあてるかについては、皆さんは自分の心の内にしか手出しができません。
他者がどう思うかということ以上に皆さんが考えるべきは、「大いなる自己」はどう思うのかということです。
分からないというのは、皆さんにとって苦痛以外の何物でもないかもしれません。
しかし、分からないからこそ、そこに「間」が生まれます。
分かるまでのプロセスは、皆さんと大いなる自己との対話です。
物質的次元の知性よりも遥かに広大で深遠なる高次の知性は、大いなる自己との繋がりによって皆さんの血肉と化します。
分からないことを喜んでください。分かるプロセスを歓迎してください。
分からないことへの肯定と受容が、皆さんをどこまでも自由にします。
~アメグリーン(マリアージュヒーリングチーム)より~