先日、新緑が眩しい瑠璃光院に行ってきました。
こちらの寺院は、黒光りする床と楓の共演が有名ですよね。
秋の彩豊かな紅葉が床に映り込む様も美しいですが、私は鮮やかな新緑が床に映り込む様が特に好きです。
瑠璃光院には何度か訪れているのですが、この日は今までで一番混雑していて、何となく残念な気持ちになりながら中に入りました。
でも、ひとたび自然と建物が織り成す「美」に触れると、人の気配なんて些末なものに成り果てるんですよ。凄いなあと思います。
そして、縁側から庭園の景色を眺めているとスッと周囲の喧騒が遠ざかって、そこには「大いなる何か」と自分一人だけ。。。というような感覚に陥ります。
何となく心許ない気がするけれど、「大いなる何か」がただ静かに心に寄り添ってくれているようにも感じて。
どれだけ人で溢れても失われない不思議な空気感がありますね。
お庭を堪能して、心が静かになった頃に写経をしました。
前は何だか気が競って、文字をなぞるだけなのに上手く書けませんでしたが、今回は今までで一番集中して丁寧に書くことができました。
写経の用紙の中に願意を書く欄があって、私は最初から平和祈願がしたくて写経に臨みました。
阿弥陀如来様に何が何でも聞いていただきたい。そんな思いで書きました。
ロシアとウクライナだけでなく、世界中のあちらこちらで争いがあります。
渦中ではないことがどれ程幸せなことか。どれ程有難いことなのか。
自分の生きている場の平和に心の底から感謝すると共に、世界から全ての暴力がなくなることを強く強く望んでいます。全世界の戦争放棄を望んでいます。
現在繰り広げられている戦争に対して、様々な場で様々な立場の方々が、本当に様々なことを言っています。
けれども、少し乱暴かもしれませんが私にはどれも、ある意味どうでもいいのです。
背景にどんな理由があろうと、誰かによって存在が軽んじられ、命や生活や尊厳が奪われるのは嫌です。
善悪や正誤ではなく、心情として嫌です。自分でも大切な他者でも見知らぬ誰かでも同じです。人でも動物でも植物でも同じです。
もちろん、そうは言っても自分だって矛盾の中で生きていることぐらい知っています。
でも、それでも嫌なのです。
人類が「幸せのための暴力」を超えて行くことを願い、自分の内側にある暴力の種を変える作業を頑張ります。
たった一つ、たった一人が集まって世界が出来ている。
たった一つ、たった一人が変わることが世界を変えること。
マリアージュでも「当たり前」の奥深くに潜むネガティビティを、個人を通して変えていくお手伝いに尽力したいと思います。
以下、瑠璃光院にて、緑と黒の共演です。