満開の桜と抜けるような青空が眩しい京都・マリアージュ周辺です。
今年は桜が満開の頃に良いお天気続きで、しっかりと薄桃色を堪能させていただきました!
桜は蒼天を背景にして、陽の光の中で見るのがいい。
白を感じさせる薄桃よりも、しっかりと彩の乗った桃色がいい。
咲き誇った桜並木もいいけれど、一本の大木にちらほらと咲く姿もいい。
こうやって自分の気持ちを眺めていると、「変わったなあ」と思います。
以前は桜のライトアップ情報を調べてはあっちへ行き、こっちへ行き。
濃い色合いの桜は自分の中の「桜」とは少し違っていて、あまり関心もなく。
桜と言えばソメイヨシノだったんですよね。確かに、夜に映えるのは白く光る薄桃色だと思います。
そして、目が行くのは圧巻の桜並木で。。。
桜一つ取ってもこれだけ感じ方が変わっている。
でも、私が一番綺麗だと思うのは、咲き誇った桜が風に舞って散りゆく時。
これは今も昔も変わりませんね。
風に舞う無数の花びらの中にいると胸に小さな哀愁を感じますが、「この瞬間のために咲き誇るのだろうか」と思うぐらいその様は幻想的で美しい。
だから、私のお花見は、満開が過ぎて「風が吹いたらきっと散るなあ」と思うぐらいからが本番です。
自分の内と外は、いつも変わるもの・変わらないもので満ちています。
何がどう変わるのか。何が変わらないのか。
目の前の世界に触れながら、一つひとつ自分の心の欠片を拾い集めているように感じます。
人の意識では自分を構成する全てのものを知ることはできないけれど、それでも私たちは手元・足下、指先の向こう、視線の先に、やっぱり自分を探して、自分を見つけるんだなあと思います。