綻ぶ花と寒の戻り。季節の境界。移り変わり。
何となく落ち着かない気持ちを抱えながらも、身の回りにちょこっチョコッと転がっている幸せを拾い集める。
花壇に色とりどりの花が咲いた。それを少しだけ摘んで食卓に飾る。
何気ない景色にパッと色が入る。「綺麗だな」と思って、嬉しい。
今月から旦那さんの仕事内容が変わって、お弁当を作るようになった。
おかずは何品か予め作り置きしてしておく。
私の昼食はだいたいパンとレトルトのスープなのだけれど、作り置きのおかずがあるので今月はそれとご飯を温めて食べている。汁物があれば尚良しなので、夕食用の汁物を多めに作って残しておく。
お昼ご飯の時間がとても贅沢になった。ちょっとした定食を花を眺め、光や風を感じながら食べている。
ご飯がメチャクチャ美味しい。「何かこれ、すごい幸せだな」と、ふと気づいた。
我が家に来てもうすぐ3年目になる元野犬ワンコ。未だに部屋の片隅でリアル隅っこ暮らし。
毎晩旦那さんに「義務」とばかりに布団に連れて来られ、僅かばかりを修行のように耐え忍んではそそくさと定位置の隅っこに戻っていく。
そんな彼がある時、朝になってもまだお布団にいる。しかも夜中は私の腕枕でネンネ。
「何が起きたんや⁈」。逆に気が気ではない。
気になって、夜中に何度も目が覚めた。旦那さんもそうだったらしい。
何度も「嫌なら向こうに行ってもいいよ」と声をかけた。旦那さんは彼が通りやすいように道まで作ったらしい。
でも、ビビりん坊は何を思ってか、はあはあ言いながらも朝まで皆で一緒に過ごした。
お陰であまり眠れなかった。でも。それでも。
「何て幸せな朝だろう」と思った。
毎日続く夜の二時間散歩withワンコ。正直、辛い。
でも、岩倉の空気は澄んでいて、星がとても綺麗。
私の故郷は、星はたった一つだけ見えた。たった一つしか見えなかった。
今は幾つも星座が作れる。旦那さんと「星図版が欲しいね」と話している。
散歩コースに無人の野菜販売所がある。置いている時と置いていない時があるけれど、「今日はどうだろう?」と一緒に眺めるのもまた楽しみの一つ。
全く何も置いていなかった日に、私たちだけではなくワンコも覗いて「ないね!」という顔をしてこちらを振り返った。可愛いやら可笑しいやらで、皆で笑った。
地野菜が買える楽しみ。自然の美しさ。可愛いワンコ。
諸々のお陰で二時間散歩も「悪くない」と思い出す。そして、「嬉しい」が一つ、また一つと積み上がっていくと、結局「幸せだな」と思う。
4/1の新月のヒーリングの案内で、ガイドたちが最後に「時の狭間・通過点」という表現をした。私は何故か、これがとても印象に残った。
今、狭間の時間を生きているとして。何処かから何処かへ通り過ぎているのだとして。
自分は抜けた「向こう側」に、辿り着く先に、何を持って行きたいだろうと思う。
歴史に名を残すような偉業や華々しい成功もいいけれど、今しがた挙げたような「幸せ」がいいなと思う。平和の中に在る幸せ・喜びが、一番いい。