今日は一日良いお天気だった京都マリアージュ周辺です。
さて私、今週の初めに突発性難聴を発症しまして、現在聴覚の違和感と一緒に生活しております。
幸いなことにごく軽度でしたので、日に日に快方に向かっています。
でも、感覚に違和感があるっていうのは、結構しんどいものですね。
体の事って、不具合が出た時に初めてその部位や器官、機能がどれだけ自分の「普通」「当たり前」を形作ってくれていたのかが分かりますね。
鼻が利かなくなるととても不愉快になる自覚はあるんですよ。
私にとって鼻は世界を認識する重要な器官です。鼻が利かないと色んな感覚が鈍る。
私の人の好き嫌いも、嗅覚が結構関係しているんです。
でも、当然ですけれど鼻だけではないですね。耳だってそう。きっと目も口も皮膚も、全部そう。
ある日突然、当たり前にあったものがなくなる恐怖感は筆舌に尽くし難いですね。
絶望感に近いかもしれない。
お陰様で、私は比較的医療の知識がありますし、自分で状態としては軽いだろうという予測が付いていたのでまだ精神的にも落ち着いていられましたけど、受診した先の先生がね。ちょっと頂けない感じで軽かった。
私にとっては初めて来た病院。初めての体験。普通不安しかないですよ。「治るんだろうか?」って、何より心配ですよね。
それがね。診察室に入って症状の説明をして直ぐに先生がポンっと一言。
「治らないこともありますし、治ることもあります」。
知っとるわ。それぐらい。
この一言はちょっとびっくりした。特に私は心の専門家ですからね。
端から患者さんの希望を挫く発言が来たと思いましたね。
治るか治らないかって、とてもデリケートな部分だと思うんですよ。
治らないこともある。それはそうでしょうけれど、伝え方ってあるでしょう。
「どうやったら治るのか、治る可能性を上げれるのかを考えるのがあなたの専門性なのでは⁉」と内心突っ込みましたよ。
いや~、本当に言葉で伝える練習って大切。言えばいいって訳ではないですからね。
特に人を相手にする専門家はね。どう言えばどう伝わるのかを常に意識して伝えるって必須だと思います。
突発性難聴。自分の患者体験を通して専門家としての姿勢を再確認する機会となりました。
あと、「当たり前」の日常に大・大・大感謝。