今、少しずつマリアージュのホームページの文章を見直しています。
私はマリアージュのコンセプトを説明する際に「自分らしい生き方」という言葉を使っていますが、この言葉、内心とても難しいと感じています。
使っておいて何ですが、私は「自分らしさ」と聞くと、どうしても何らかのキラキラしたサクセスストーリーがそこに含まれるような感じがして、実は違和感を覚えます。
私は、自分らしさに必ずしもサクセスストーリーは関係ないと思うのです。
私たちが考える自分らしさは、生きていく中でメディアや教育や社会的価値観から作られた要素が大きく関係しているように感じます。
「作られた自分らしさ」とでも言いましょうか。
私は自分らしさはある種の「感覚」だと思うのです。肯定する感覚。惹かれる感覚。
蛹が蝶になる時、固い蕾が大きく花開く時、私たちはそこに感動を覚えます。
その様子に美しさや生命の輝き、躍動感など、自分の心を通して意味を見出すのです。
ただ思うに、蛹や蕾からすると、時が満ちてただ羽化した、ただ花開いた。それだけに過ぎないのではないでしょうか。ただあるがままに、成ることが成った。
でも、私たちは自然の営みに心が動きます。それは確固たる事実であり、私たち独自の体験です。
この心の動き、そこから導き出した意味。そして、それをどうするか。だからどうなのか。
私はこの部分にこそ「自分らしさ」が表現されるのだと思います。
私たちは良い事・悪い事、静と動、光と影などで表される二極の波の中で生きています。そこではたくさんの「こんなはずじゃなかった」や「こんなのは自分じゃない」といった肯定できないもの、嫌悪するものがあるはずです。
でも、それさえもどこかに必ず自分の想いが入っています。
「あれに比べたらこちらの方がマシ」「もっと困ったことになるなら今の方がいい」。
私たちはほぼ全てのことで、何かを基準にしてより自分にとって「良い」と思うことを選んでいるものです。どんな形であれ自分の幸せ、喜びを考えて生きています。
とても満ち足りた平凡。普通。ネガティブも極めればポジティブ。
素晴らしいと思います。当人が満足すること。それが何よりです。
私も色々夢を思い描きますが、毎日特に大きな困り事がなくて、美味しいと思うご飯を食べられて、自分の大切な人たちが元気で、何をするでもないけど家族と一緒に穏やかに時間が流れる。これが一番幸せだと思っています。
地味ですよ。でも、十分私の満足です。
幸せや満足は十人十色です。「自分なり」があるでしょう。
自分らしさはサクセスストーリーではない。でも、だからと言って「どうせこんなもんだ」という諦めや制限や惰性、「自分さえ良ければいい」という身勝手さの中にもないでしょう。
自分らしさを見つけようと思うと、まずは自分の全てを肯定する感覚に立ってみることです。
上手くいかない自分。ありふれた自分。自信なんてどこにもない。誰も分かってくれない。自分だけが取り残されていく気がする・・・。
例え自分がこのような想いの中にいても、それでもそれは自分の一部。尊い自分の表現だと、ただ受け入れる感覚。温かな全肯定。
この温かな全肯定に包まれながら世界を見てみると、今まで自分が使っていた基準が変わって来ることが分かるでしょう。
新しい基準から「惹かれる」「良いな」という感覚を頼りに自分を創り、世界を創り、人生を闊歩していく。
それが私、マリアージュが考える「自分らしい生き方」です。ヒーリングはそのためにあるんですよね。
うーん。。。今言ったようなこと、どうやってホームページに書こうかな。
長過ぎる文章は見にくいですからねぇ・・・。伝えるって、難しいです。