人の心に関わる仕事をしていると、一口に「幸せ」と言っても、その中身は千差万別であることに気づきます。
素敵な恋人がいたら幸せ。希望の仕事に就けたら幸せ。経済的安定が幸せ。美味しいものを食べてる時が幸せ。災害に遭わないことが幸せ。笑えることがあれば幸せ。
実際は今挙げた以上に出てきますよね。幸せ。
だから、「自分は何を幸せと思うのだろう」と、ちょっと落ち着ける時に考えてみるといいです。
自然の流れに完全に委ねてしまえる方なら「幸せになりたい」でいいかもしれませんけれど、私たちの多くはどうしてもコントロールしたくなってしまう。
不安が先立つのでね。ついついあれこれと手を出してしまう。
幸せの中身を一度しっかりと確認してみる。漠然とした希望では納得できない心と共同作業してみる。
最初は「自分にはないから欲しい」と思っているものが出てくるかもしれません。
でも、どんどん続けていくと、今の自分が持っている、あるいは自分の周りに見つけられるような「細やかなもの」「当たり前のもの」が出てくることに気づくのではないでしょうか。
私たちが思う「幸せ」は、とても幅広い気がします。
なので、私はまずは「幸せになりたい」を考え直してみるといいかな、と思います。
「幸せになりたい」と表現すると、前提として「今私は幸せではない」というエネルギーが含まれることになります。
こうやって言葉に表してみると、結構強い意味を含むことが分かるでしょう。「不幸」と同義ぐらいの意味合いですよ。
でも、私たちが「幸せになりた~い!」という時、そこまでの強い意味では言っていないでしょう?
想いと表現の間に乖離がある。
私たちが送り出すものが、私たちが受け取るもの。
石さんたちやガイドさんたちが常々口を酸っぱくして言ってますね。
「幸せになりたい」を送り出すと、残念ながら幸せは遠そうです。
だから、立ち止まって「幸せ」を考える。
私は「幸せになりたい」と願う程、幸せではないのかしら?本当に?
きっと、それはそれで何かしらの引っ掛かりを覚えるのではないでしょうか。
私はその引っ掛かりは、細やかな幸せ、当たり前の幸せが自分の内側を支えてくれている証拠だと思います。
自分の望みと幸せを、全部が全部、関連付けなくていいように思います。
望みは望み。叶うと嬉しい。
そして、幸せは幸せ。もっと幸せになると嬉しい。
「もっと幸せ」には「今も幸せ」が含まれていることに気づきますか?
私たちは、素直に「もっと」と望んでいいのです。
ポイントは今自分が持っているものをしっかりと認識して、感謝して、その上で「もっと」と望むことです。
意味をはっきりと認識しているようで実は曖昧、という表現は「幸せ」以外にもたくさんあります。
しっかりと中身を点検してみることです。自分の想いを確認することです。
送り出すものの質が変わって、受け取るものが変化しますから。